久し振りの天草の続き
昨日は天草にお墓参りに行ってきました
今は松島有料道路が出来たので、本渡までぐんと近くなりました
父方の代々のお墓は殉教公園に登って行く一方通行の道の途中にあり
工事をしてるとは聞いてましたが
子供の頃遊んでいたキリシタン館手前の公園や
キリシタン館は影も形もありませんでした
思い出の、しかも神聖な場所を・・無謀な本渡市長に怒りを感じました
家のお墓から見た本渡の町です、とても懐かしい景色です
お墓参りをすませ、画廊喫茶をしてる母方の叔母の家へ
画廊喫茶はもうオープンして20年になるそうです、とても味があるというか
私が大人になったのでしょうか、とても落ち着きます
最近わかった事ですが、私の店のお客様で本渡出身の方が
本渡にいた頃はよく叔母の店に行っていたそうです
これも嬉しいご縁ですね〜
そして凄い写真を見せてもらいました
私の母方の祖父母です、はじめて見ました
初めてとは変なのですが
私の母は私が3歳の誕生日を迎える1ヶ月前に亡くなったので
母方の親戚とはほとんど面識がなく、今でも交流があるのは
この画廊喫茶の叔母だけなんです
整理してたら沢山あって、しかも明治時代の写真がほとんどだったので
つい最近写真展をしたそうです
母がいなかったせいか、私小さい頃よく泣いてたそうです
自分では憶えていませんが亡くなった叔母も、この母方の叔母にも
可愛いがってもらった事はよく憶えてます
それから、亡くなった叔母の娘つまり従姉妹が嫁いでる河浦へ
従姉妹といっても15位の年齢差があり
この従姉妹にも可愛いがってもらってました
昨日聞いた話ですがもう45年位前の話です
私の母が亡くなった後、私を連れてしばらく新町の叔母の所に居たそうです
余談ですが、叔母がいっぱいでしょ
父の兄弟は11人で1人は戦死されたそうですが
昔はみんな集まると凄い人数だったの憶えてます
でも父の兄弟はあと2人になってしまいました、父ももう亡くなってます
新町の叔母は旅館をやっていたので
ピーピー泣いてばかりいる私を抱いて
叔母が持ってたアパートの空き部屋に連れて行ったそうです
その頃従姉妹は高校生、そのアパートはどこだったか
聞いてびっくり、なんと京町だったそうです
従姉妹 「あんたは下ろすと泣くしずっとだっこしとったよ〜
だっておばちゃん、タクシーにも乗せてやらっさんだったけん
きつかった〜」
私 「そら泣き虫じゃなくても泣く、新町から遠かもん」
熊本市内の地理を知らない従姉妹と大笑いしました
子供の頃も結構いい体格だったらしいです
帰りにどうしても買って帰りたかったのでまた本渡へ
チキンショップまさきの鳥の丸焼です
5時30分位でしたがもう売り切れてました、残念です
本渡も私が住んでた頃とはかなり変わってしまい
ちょっと淋しい気もします
でも海と山の自然がある天草大好きです