平成7年 5月21日
平成7年 5月20日 土曜日でした
朝、目が覚めると
横で寝ていた同い年の旦那
苦しそうにハーハー息を荒げてます
熱を測ってみると
41度
ビックリして飛び起きてすぐ病院へ
土曜日だったので
当直医との事
結局、風邪とも何とも言われず
病名はわからないまま
座薬だけ入れられて
薬もらって家に帰りました
その頃私は家から5分位の所にお勤めしてたので
遅れて出社
これが後に、私を苦しめる事になるとは
思ってもいませんでした
昼休みに家に帰ってみると
座薬のせいか熱は下がってましたが
ご飯は食べたがらなかったので
薬だけ飲ませて
私はまた仕事へ戻りました
土曜日は娘が上通りの英会話教室に通っていたので
6時に仕事が終わりそのまま迎えにいきました
土曜日の夜、繁華街はどこを通っても渋滞
家に帰り着いたのは、もう8時前でした
部屋は真っ暗なまま
電気をつけて声をかけると
旦那の顔を見て、ビックリしました
顔に1,2センチ位の斑点が一杯
急いで救急車呼んだら
「病院は何処へ行きますか?」と聞かれ
私、またまたビックリで
まさか搬送先を聞かれるなんて思ってもいないので
全然思いつかず・・・
結局、朝に連れて行った病院へ
一応、大きな総合病院でした
まだその時点では
旦那はしゃべる事も出来てたし、身体も動いてました
ただ、深呼吸しても息が苦しくて
下半身が痺れて足が痛いらしく
自分じゃ歩けなくなってました
後で聞いた話ですが
呼吸困難を起こしていて
その症状である
いわゆるチアノーゼが原因で
顔の斑点や下半身の痺れがおきていたそうです
まだ意識がはっきりして
しゃべる事も出来ていたのは
チアノーゼが脳まで回ってなかったからだと言われました
病院についてどれ位たったでしょう
このまま入院になるだろうと思ってた私に
「覚悟しといて下さい、
このまま生きていたとしても、おそらく植物人間でしょう
身内の方に連絡して下さい」
と言われました
その後旦那は、口に呼吸器をはめられ・・・
話も出来なくなり
何度も私の方を見て
目を見開いて何か言いたそうにしてましたが・・・
旦那の目を開けてる顔を見たのはそれが最後でした
皆が駆けつけた頃には
意識もほとんどなくて
もう生死を彷徨っていたのだと思います
そして病院からは
「もううちではてにおえません」と言われ
愕然としましたが
バカな私は
殺されても死なないような身体だった旦那が
このまま死んでしまうとは
どうしても思えずに
大学病院に移す事にしました
それからまたどれ位たったでしょう
治療室に呼ばれました
お医者様から、馬乗りになって心臓マッサージ受けていた旦那を見せられ
マッサージをやめたらこんな状態です
とまるで、テレビに出てくるような器械を見せられ
手を離すと
プーっと心拍数がゼロになるんです
もちろん大声で呼んでも目は開きませんでした
これ以上やっても
もう生き返りませんよ、と宣告を受けたようなものです
日付けは変わり
午前1時を過ぎていました
平成7年5月21日 日曜日
この日が旦那の命日です
人間の防衛本能は凄いですね
嫌な事を忘れる様に出来ているんでしょう
その後の事はほとんど憶えていません
さくら亭のソムリエでもあり友人に
病院の説明を聞いてもらったり
葬儀の手配などいろんな事をやってもらいました
その日娘は中学最後の運動会
一睡もしてなかったけど
出掛けて行きました
パパっ子だった娘
よく頑張ったと、我が子ながら感心します
私は旦那のそばで動けずにいました
冷たくなって行く身体を
ずっとさすってました
あまりにも突然だったので
状況が飲み込めず
本当にバカな私は
まだ生き返ると信じてました
お通夜には沢山の方に参列して頂きました
毎晩一緒に遊んでいあた友人達が
旦那の棺の前で騒いでました
お通夜は泣く為だけのものではないと初めて思いました
それ見てて、旦那亡くした私が嬉しかったからです
翌日は葬儀の前に
火葬場に行きました
ここでもバカな私は
焼却炉に火を入れるボタンを押したら
生き返れなくなると
錯乱状態になっていました
すると娘が、「ママ、仕方ないんだけん」って・・・
私、はっとしました
まだ、14歳
娘も辛いはずなのに
ちょっと我に戻った瞬間でした
葬儀も終わりしばらくは
昼間は毎日なんだかんだと手続におわれ
忘れられるかと思ってましたが
どうして病気の旦那がいるのに
仕事に行ったんだろうと
自分を責めて、責めて、責めて
毎晩、眠れず声を殺して泣いていました
最初の病院に運ばれてすぐに
何時頃から苦しくなりましたか?と先生の質問に
旦那、午後2時頃からと答えてました
私が家に帰ったのは8時頃
6時間も苦しいのを我慢してたんです
我慢せずに
私の会社に電話してくれれば
もう1度病院へ行き
手遅れにはならなかったかもしれません
何もかも後悔する事ばかりで
たぶん自分が自分でなくなっていくというか
やっぱりおかしかったのかもしれません
その頃の私、自分の事ばかりで
娘の事全然見えていませんでした
今でも可愛そうな事したと
とても反省しています
先月、福岡の同級生から
5月に遊びに行くからと連絡がありました
熊本に来る日は
5月21日、友人は命日だと憶えてはいませんでした
でもその事伝えると
喜んでいるようでした
旦那が呼んだのかもしれませんね
長々と読んで頂きありがとうございました
もし旦那をご存知の方
このブログを読んで頂いてたら
明日、旦那の事を少しでいいので思い出して下さい
きっと喜ぶと思います
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